2013年4月30日火曜日

日本人の考え方・・・放射性廃棄物をめぐって

放射性廃棄物の最終処分場をめぐって、また、世間が騒がしくなってきている。


鹿児島県・南大隅町の森田俊彦町長が、2009年、東京電力の勝俣恒久会長(当時)に近いとされる男性に、原子力関連施設の町への誘致を一任するとした委任状に署名し、渡していたとされるニュースのことだ。


事の詳細については、新聞などの報道に任せるとして、「日本人論」の観点から、私はこの問題を取り上げてみたい。


このニュースの要諦は、東電や政権(当時の民主党幹部)から依頼された大隅町の町長が、放射性廃棄物の最終処分場の誘致を認めるを委任状を出していたことだ(誤解を生んではいけないので、述べておくが、この件に関しては、別に民主党に限ったことではなくて、自民党もそれ以前に同様な働きかけをしている)。大隅町という日本の南端の小さな村に、東京都民の電力のためにできた「核のゴミ」を引き取ってもろうという試みだ。


放射性廃棄物の最終処分場めぐっては、2002年、原子力発電環境整備機構(NUMO:ニューモ)が、全国の市町村に候補地の公募を開始。対象自治体には、処分場用地としての適合性の文献調査の段階から、年10億円の交付金が出ることになっているが、いまだに決まっていない。


決まっていない理由は、いたって簡単で、誰もこんな危険なものを引き受けたがらないからだ。しかも、名前のあがる候補地はすべて今回同様、、みんな電力の消費地からははるか彼方の地だ。



日本人はとにかく、臭いものにはフタをして、隠そうとする。見えなければそれで、いいという風習があるが、「原発」だけは、そうはいかない。逃げることはできないからだ。


最終処分の方法は決まっている。


原発から出る「核のゴミ」の最終処分は法律で、ガラスと一緒に固めてステンレス製の容器に密封し、地下300メートル以上の地中に埋めることになる。しかし、放射能が危険レベル以下に下がるには10万年かかるとされる。


地中深くに埋めたからといって、けして安全ではない。火山もあれば、地震のある日本列島ではつねに不安定な存在になる。しかも、10万年も先にようやく安全になるという!。人類の歴史から考えると、そのころには人類自体が、存在していないかもしれいない未来の話だ!?


そんなものをいったい、だれが引き受けるというのだ。


原発は「トイレのないマンションだ」といいわれる。最終処分場がない現在、たとえれば日本というマンションの部屋が、糞尿を入れたバケツやボトルにどんどん、占領されていく状態なのだ。しかも、その糞尿は猛毒で、漏れ出ると住んでいる人は死ぬ。


なのにだ!まだ、政権与党そして、経済界は原発の再稼動を強く求めている。理由は、電力が足りないということだ。経済の成長のためにだ。稼動とともに、廃棄物は増え続ける現実は消えない。


もう、どんな理論を展開しようが、原発の理論の破綻はこれのみで十分説明がつく。


日本人は、とにかく、いやな事柄からは目を背けようとする。自分が見えなかったら、気付かなかったら、自分のところじゃなければ・・・「それでいい」。


最終処分場だけではない。もう、フクシマのこともみんな、忘れようとしている。


見ようとしないことは、すでに罪であり、最後は自分に身に災難が降りかかることになる。

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2013年4月26日金曜日

使用済み核燃料の貯蔵を電力消費地でも!

原発問題に関心のある人にとっては、興味あるニュースが入ってきた。

 全国最多の14基の原子力発電所を抱える福井県の西川一誠知事が25日の定例記者会見で、原発の使用済み核燃料について「電力消費地でも火力発電所の敷地内などでの貯蔵を真剣に考えるべきだ」と述べ、近畿地方の都市に中間貯蔵施設を設けるよう求めたという。

 これは福島第一原発の事故が発生後も多く語られてきたテーマだが、原発をつくる地域(福島、福井など)と実際に消費する地域(東京、大阪など)が離れていることに由来する。

 元々、「安全、安全」とうたってきた原発であるならば、どうして、消費地自体に建てないのか?ー昔からいわれてきた素朴な原発への疑問だ。


西川知事はこうした正論を踏まえ、近隣自治体へも、「危険の公平な負担」を訴えた。


 対する関西の首長たちの反応はさまざまだ。

 大阪市の橋下徹市長は、「大阪で引き受ける必要はあると思う。ただ、安全性がわからない。基
地問題と同じで専門家で議論してもらわないと」と述べ、条件付きで受け入れる可能性を示唆した。

また、滋賀県の嘉田由紀子知事は「消費地は原発にしてほしいとは言っていないし、権限もない。結果として出た厄介者をどうにかしろというのは筋が違う」と受け入れに反対した。


経済産業省によると、3月末現在、全国の原発敷地内に貯蔵された使用済み核燃料は約1万4350トンで、全国の貯蔵可能量の7割弱に達している。このうち福井県内の貯蔵量は4分の1の約3550トンに上るという。

<使用済み核燃料>

原子炉で使用された後の燃料棒である。ウラン・プルトニウムを大量に含む高レベル放射性廃棄物である。一般的には原子炉で使用された後、冷却するために原子力発電所内にある貯蔵プールで3年~5年ほど保管される。その後、核燃料サイクルに用いるために再処理工場に輸送されて処理が行われるか、高レベル放射性廃棄物処理場での長期保管が行われる。(ウィキペディア)


「使用済み」と記載されているが、これもりっぱな核燃料だ。核兵器にも転用される可能性もあり、大変危険なものだ。

福島の事故の際には、停止中だった4号機の使用済み核燃料のプール近くで爆発が起こり、もし、中の燃料が外に漏れでることになれば、東京都民も巻き込む大災害となるところだった(実はこの状態は現在も続いている)。

はたして、こうした危険なものを東京や大阪の市民は引き受けることになるだろうか?

原発再稼動が間近に迫る中、こうしたアンチテーゼは、もう一度、原発を考えるいい機会になる。

2013年4月25日木曜日

ユニクロはブラック企業?

最近、「ユニクロはブラック企業?」といったコラムを目にすることが多くなった。


簡単にいえば、長時間労働などを理由に、離職する人が多いことから、ユニクロブラック企業であるという議論である。


それに拍車をかけるように、ユニクロ会長の柳井正氏自身が、「世界で賃金のフラット化が進み、年収100万円の時代がくる」と新聞紙上で応えたがため、さらに話題をヒートアップさせている。


今まで、年収300万円の時代といわれていたのに、100万円の時代が来るという。


柳井氏はインタビューに


「長期的には、“賃金のフラット化”によって国内社員の賃金水準は、新興国並みに引き下げられる可能性もある」と述べ、


「将来は年収1億円か100万円に分かれて、中間層は減っていく」と言い切った。


長時間労働で従業員を使い倒した上に、年収まで下げるというのだ。


こうした流れについて、専門家の中では、企業のグローバル化が進む中、仕方ない選択であると、あきらめ口調に評する人もいる。


企業は利益重視だ。弱肉強食の中で、勝つためには、ユニクロに追随する企業は次々出てくるとみる。まずは電機や自動車の生産ラインなどの単純労働の場で、途上国の人たちと交代が始まるという。


そして、この流れはホワイトカラーにも当然、及んでいくと予測する。


もし、労働者がこの動きに歯向かえば、どうなるか・・・答えは簡単だ。


世界中同じ仕事で、同一賃金であるからこそ、簡単に機械の部品のように首を切られ、すげ替えられることになる。これが企業のグローバル化の正体だ。


まさに現代版、「モダンタイムズ」だ。


年収100万円の人と、年収1億円の人の二極化が進む。もちろん絶対数は1億円の人の方がはるかに少ない。そしてその中間層は消える。


一部の大金持ちと、多くの貧乏人だけの世界だ。


そんな社会を私たちはけして、夢見るはずはない。


閉塞した時代だからこそ、それを打破してくれるかのような人物を、私たちはすぐにはカリスマと奉ろうとする。


経済の世界でも、政治の世界でも、これからはよく目を凝らして見ていかなければ、えらい時代を迎えることになりそうだ

2013年4月24日水曜日

大阪駅前にオープン、グランフロントを見て


西日本最大のターミナル大阪・梅田の駅前に、新商業施設「グランフロント大阪 」が開業する。26日のグランドオープンを前に今日、メディア関係者の一人として事前に館内を見せてもらった。


1日の平均乗降者数250万人という"大阪最後の一等地"と言われる大阪駅北地区「うめきた」を舞台とする先行開発
 区域のプロジェクトの一環で、施設内にはファッションから雑貨、レストランまで全266店舗が出店している。店舗などの詳細については新聞、テレビに譲るとして、回ってきた感想をまとめてみたい。


 中に入っての第一印象は、吹き抜けの空間を実に見事に使った施設で、東南アジアを旅してきた私からすると、シンガポールのビル群を連想しさせた。
 

 シンガポールは熱帯モンスーン地帯に属するため、年中蒸し暑い気候が続くため、エアコンが効いたビル内に商業施設やホテルなどを収容する傾向がある。このため、グランフロント大阪のような、人が過ごしやすいように、ビル内に吹き抜けの空間をつくりことが多いからだ。


 これらの仕様は中東の金持ち国・ドバイなども同様のビルが多いことでも、知られているが、つきつめれば、これは何を意味するものか?


 一言でいえば、「管理」システムだ。ビル内にいる人はたいへん、快適に過ごすことができるが、すべて、一括で管理できるようになっていることだ。


 人工的な建物内では、雨風の影響を受けず、虫や動物などもいなく、安全だ。未来に人間が宇宙で生活する際のモデルケースにもなるであろう。


が、「しかし」を感ぜずにおれなかった。シンガポールで初めて、こうしたビルに入ったとき、最初はなんと近代的で、衛生的だと確かに思ったが、すぐに得もいえぬ違和感を感じた。


そのときの感触が今回も思い出された。それは非人間的、非自然的といったことばで表現すればよのだろうか・・・。


シンガポールは、徹底している。こうした思想を、ビルから街すべてに広げている。すべてから、上からの視点で作られている。そして、市民からすると管理されることになる。


それが証拠にあまり知られていないことだが、シンガポールの自殺者の数は異常に多い。そして、住みよいはずの国内から国外に移住する人も多いのだ。


大阪に新しくできた名所は、私たち関西人がつくったものではない。東京、そして、グローバル企業がつくったものだ。


私は路地裏の居酒屋の赤い提灯が大好きだ。こうしたことも、何年か後には博物館入りになるのだろうか?


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2013年4月22日月曜日

原発続けたいって言ってるのは、グローバル企業なんですよ。

いつも、読むたびに関心させる思想家の内田樹さんのブログ(東北論)<http://blogos.com/article/60760/>でまた、はたと気付かされることがあった。


ブログは全国的に進学校として知られている灘高校の生徒からのインタビューをもとにつくられていて、その中で話が福島原発事故におよぶ。


そこで、原発の損得勘定について、内田氏は事故後の補償などを考えるだけで、「原発はまったく間尺のあわないビジネスだ」と生徒たちに、日本人の理不尽さを嘆く。一度、事故が起これば、その土地にはまったく、住人が帰ることができなくなり莫大な補償がいるにも関わらず、「安いコストで電気ができる」と主張を続けるからだ。


その一方で、国土について、日本人の不思議さを問うている。日本には、尖閣や竹島などの国土が失われることに敏感な人たちが多くいるのに、なぜか原発問題には疎い反応を示す。放射能で汚染された福島の地は人々は住むことはできず、いわば「失われた国土」と同然で、なぜ、この土地についてなにもいわないのかと、憤りをみせる。


さらに、原発をとりまく現在の日本の状況に大きな疑問を呈する。もし大きな地震がもう一度、福島を襲えば今度は東京周辺も居住不可能になるにも関わらず、まだ、再稼動を進めようとする人たちがいることだ。


そして、その人たちの正体こそが、内田氏は「グローバル企業」だと喝破する。


この内田氏の見立てはとてもたいへん興味深い。


内田氏はその理由づけとして、


「長期的に考えてみた場合、原子力発電を使うと日本の国土が汚染されて、取り返しのつかない損害をこうむるおそれがある。これは間違いない。だから、長期的にみたら『割に合わない』と考える方が合理的なんです」


「でも、グローバル資本主義者はそうは考えない。原発をいま再稼働すれば、今期の電力コストがこれだけ安くなる。それだけ今期の収益が出る。配当が増える。だったら、原発再稼働を要求するのが当然、というのが彼らの思考回路なんです」と応える。


今まで、原発推進については、国内の「原発ムラ」の集団だけが推進しようとしていたかのようにみえていたが、グローバル企業がその背後にいようとは思わなかった。


目先の利益を求めることだけを考えるグローバル企業の性質を裏付けるかのような動きも出てきている。


最近の円安にも関わらず、自動車メーカーが次々と海外に生産拠点を移しているというニュースがそうだ。


トヨタは高級車「レクサス」の工場を北米のケンタッキーへ移すシフトを強化すると発表。また、三菱自動車は、岡山県にある水島製作所の設備を集約し、国内の生産能力をおよそ2割削減する方針を固めた。


これは国内産業の空洞化が進むことを示し、言い換えると、国内の雇用の喪失につながることを意味する。つまり、先の原発推進理論と同じく、工場の海外移転はグローバル企業経営者にとって、当面の利益を上げる成果はえられるが、自分たちには責任がないかのように、日本国内の問題(雇用、補償・・)はなおざりにされていく。


こうしてみると、原発の再稼動問題は、実は左勢力の問題だけではなく、長い目でみれば、右勢力の人たちにとっても憂いべき問題なのかもしれいない。


そういえば、漫画家のあの小林よしのり氏も事故後、原発再稼動については一貫して反対を示している。

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2013年4月19日金曜日

日本国民は憲法を守る義務がないの知ってる?

安倍政権になってにわかに現実味を帯び始めた日本国憲法改憲問題。先日、あるラジオ番組を聴いていて、びっくりしたことがあった。


長い間、記者という仕事に就いていながら、知らなかったとはまことに恥じるべきことだが・・・。それは「日本憲法には国民が守る義務はまったくない」というのだ。


いわゆる法治国家である日本国において、その中心となるは、まぎれもなく日本国憲法であり、国民全員はその内容を守る義務があるのは当たり前だと思っていた。


その考えを翻されたのは某ラジオ番組に出演していた弁護士の伊藤真さんの言葉だ。伊藤さんは司法試験の予備校の塾頭であり憲法にくわしい弁護士として有名な人物だ。


私が驚いた部分をややはしょって、書きだしてみると・・・


伊藤「憲法って、我々国民が守る義務はまったくないんですよ」


司会「え、守らなくていいの?」


伊藤「別に守る義務なんか、負わされてないんです」


司会「ではだれが守るの・・・」


この先の話で、さらに興味をそそられる。


伊藤「憲法を守らなければならないのは、政治家とか官僚とか裁判官とか、首長とか・・・
   もっといえば国の側や自治体の側で仕事をする公務員の人たちなんです」

伊藤さんの説明が続く。


伊藤「国民がこの憲法をつくって、政治家や官僚にこの通り政治や仕事をやんなさいよ。
   つまり国民が政治家たちに押し付ける命令書ということなんです」

伊藤さんの解釈をまとめると、これが日本国憲法の根底を流れる「立憲主義」というもので、実際、現在の憲法には、国民に憲法を尊重し擁護しろとはまったく書いていない。


これは政治家や官僚たちが握る権力を好き勝手に使わせない仕組みで、国民の人権、そして自由を守るためのものだ。


そして、話題は去年つくられた自民党の憲法改正草案についてまで及ぶ。


自民党はこうした「立憲主義」を知ってか知らないふりをしているのか、この草案で、あえて、「すべての国民は、憲法を尊重しなければならない」と明記している。


さらに「国民の義務」を今まで以上に増やしていると伊藤さんは指摘。従来の納税や教育、勤労のほかに、あらたに「国旗、国歌の尊重しなければならない」など・・・。


ついには、「緊急事態令」なるものが提唱。緊急時に「何人も措置に関して発せられる国その他の公の機関の指示に従わなければならない」と。


内容はいわずもがなか・・・。


もし、自民党の草案通り、憲法が改憲されれば、国民主体の「立憲主義」から、権力側が利用しやすいものとなる恐れは否定できない。


憲法改憲問題、これを聞いても他人事でいられるか?


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2013年4月18日木曜日

巨大地震の前兆

13日早朝に起きた兵庫県・淡路島の地震をはじめ、昨日は三宅島宮城沖と大きな地震が相次いでいる。


日本列島中、いつ大地震が起きてもおかしくない状況であることを今日はもう一度確認したい。しかも巨大地震が起きる可能性だ。


2年前、東日本大震災が起こった。これは1000年に一度の巨大地震だ。地震の規模を示すマグニチュードは9を記録し、日本周辺で起こる地震で最大のものとなった。


私たちが、肝に銘じておきたいことは、自然科学の常識として、これほどの巨大地震が起これば、少なくともM8クラスの地震が続発するということだ。


マグニチュードのあまりご存知でない方のために念のため申し上げておくと、あの阪神淡路大震災を起こした地震の規模はM7.3だ。M8はおおまかにいうと、エネルギーで約30倍にも及ぶ。そんな巨大地震が、明日にも、私たちの身近で、起こる可能性があるということだ。


最近発生した身近な例で説明してみよう。


2004年12月に起きたインドネシア・スマトラ島沖で起きた地震だ。規模は東日本大震災とほぼ同じM9.1だった。


そして、それに続く大地震が以下の通りだ(ウィキペリアから)。
時期 (WIB)名称マグニチュード震源地
2004年12月26日スマトラ島沖地震 (2004年)9.1バンダ・アチェ南南東沖
2005年3月28日スマトラ島沖地震 (2005年)8.6メダン南西沖
2007年9月12日スマトラ島沖地震 (2007年)8.5ブンクル南西沖
2009年9月30日スマトラ島沖地震 (2009年)7.5パダン西北西沖
2010年4月6日スマトラ島沖地震 (2010年4月)7.8バニャック諸島付近
2010年5月9日スマトラ島沖地震 (2010年5月)7.2バンダ・アチェ南南東沖
2010年10月25日スマトラ島沖地震 (2010年10月)7.7パダン南沖
2012年1月10日スマトラ島沖地震 (2012年1月)7.2バンダ・アチェ南西沖
2012年4月11日スマトラ島沖地震 (2012年4月)8.6[1]バンダ・アチェ南西沖
2012年4月11日スマトラ島沖地震 (2012年4月)8.2スマトラ島北部西方沖


感想はいかがか?驚くべき結果であることがわかる。


さらにある学者はおそろしい予測をしている。


これらの地震帯を研究するシンガポール地球観測研究所(EOS)のケリー・シエ所長は2012年4月11日に起きた地震を引き合いにだし、この地震は2000年に1回の規模で発生したと指摘。今後、甚大な被害をもたらす地震が起きるリスクを高めたとの見方を示した。つまり、まだまだ、巨大地震がこの周辺で起きるというのだ。


もちろん、日本列島周辺とインドネシアでは、地震を起こす原因となるプレートの構造は異なり、まったく同じ状況になるとはいえないが、先ほども指摘したとおり、日本列島周辺でM8クラスの地震が発生する可能性はけっして、低くはないと、どの専門家も認めるところだ。そして、悪いことには、そういった地震は、3・11以降、まだ起きていないのだ。


M9クラスの地震が起きれば、その影響を受けて、周辺の活断層などにさらにひずみがでる。つまり、地震が起きない限り、そのひずみにかかったエネルギーは解放されないことになる。


インドネシアの例をみてもわかるように、M8クラスの地震が多発する可能性はいわば、必然といえる。また、昨今騒がれている南海地震などの3連動地震(東海地震+東南海地震)の発生は、シエ所長の指摘するとおりのものとなる。


これは脅しではない。時間だけの問題だ。

2013年4月17日水曜日

「就活自殺」・・・変化の胎動

お恥ずかしながら、こんな言葉があることを知らなかった。内容については、十分想像がつくので、理解できるのだが、ひとつの名詞として、新聞紙上に載るほどのものになっているとは思わなかった。


「就活自殺」とは、就職活動(就活)がうまくいかず、精神的に追い詰められて自殺に追い込まれることだ。言葉が一般化しているように、その数は明らかに増加している。


一般的に、この問題を扱うコラムでは、「やれ、若者の精神が貧弱」だの、「全員が一流企業の正社員になれるとの思い込みが強い」だのと、若者サイドの要因を挙げることが多い。


しかし、企業側に本当に落ち度はないのか?確かに、社会の荒波を生き抜いていくには、就職ごときで自殺するのでは、情けないかぎりだが、「日本の空気」の研究家の一人として、企業の体質というのは、その空気の象徴を表す端的な例だといえる。


たとえば、先日、安倍首相は、経団連などのトップに対して、大学生の就職活動の解禁時期を4年生の春まで遅らせるよう正式に要請したという。その心は、学生にもっと、勉学に励んでもうらいたいからだそうだ。


企業側は多少の難色を示しながらも、「首相のおっしゃることならば」と、おそらくそうした流れになるだろうが、果たして実際はどうか?


日本には「本音と建前」というすばらしい?伝統が受け継がれている。春の解禁以前に、ひそかに内定がだされるのがオチで、学生の負担がさらに増すことになるだろう。


日本の社会はすべて、こうだ。国や企業、それを支配する年のいった大人に、若い学生はいつも、翻弄される。


私からすれば「もうええやんか?いつまでもこの社会にしばられることない。それだけが人生ちゃうで」と大阪弁でいいたくなる。


私の経験をいわせてもらえば、私も一応は4年生の大学を卒業したものの、在学中の遊びすぎがたたり、就活は全滅。卒業後、中央市場など仕事を転々とした後、新聞社の仕事にありつき、現在まで、なんとか、食いつないでいる。


なによりも、ジャーナリストになってから、海外、特に東南アジアを回るようになり、日本の社会の異様性を感じるようになった。この「就活自殺」のこともしかり、日本は住むのにほんとうに息苦しい。


確かに、海外では、日本ほど、お金のない人たちも多いが、みんな元気だ。なによりも、仕事に就けないくらいでは、絶対に死なない。


食べるものがないうえ、軍やテロから銃口を向けられる生活を強いられる人も少なくない。


なによりも、若い学生の方に同情を寄せるのは、日本の大人たちの空気だ。「大学に入り、大企業に入るのは当たり前」「友達の・・・君も就職できたのだからあなたも当然できるよね」などなど。若者を取り巻く目はすべて陰湿だ。


もうそこから、一歩踏み出さしてもいい時期ではないか?

たとえ就職できたとしても、次はなにがある?次は企業が、あなたを「大人色」に染めようと躍起になるだけだ。挨拶の仕方、笑顔の作り方、言葉の使い方などなど。


こうして若者は家族、企業、国とがんじがらめにしばられた、重い足かせをつけられることになる。


<3・11>以降、明らかに変化が胎動している。早く気付いてくれ。

2013年4月16日火曜日

大飯原発の判決を受けて

福島県の関西電力大飯原発3,4号機の運転停止を求める裁判の判決が出た。裁判所は住民側が求めていた運転停止の仮処分の申し立てを却下する結果となった。敗訴だ。


この裁判は、東京電力福島原発以外の運転の可否に対する司法判断は初めてで、原発推進、反対派両陣営から注目を集めるものとなった。


3、4号機は昨年7月に運転を再開し、現在国内で唯一、運転している原発であるため、私個人としては、おそらく現在の国内情勢を鑑みると、住民側の申し立ては却下されると予測していたが、まさにその通りとなり残念な思いでいる。


裁判の争点は以下の点。①地震が起きた場合、原子炉内の核分裂反応を抑える「制御棒」の挿入時間の妥当性②同原発周辺の3つの活断層は連動するかーなどだ。


判決文が手元にないので、詳しい判決理由についてはふれることができないが、訴訟の中で、関電側は「海底にある二つの断層と熊川断層の地質は異なっており、3連動地震は起きない」と反論していたことや、仮に起きたとしても制御棒は一定の時間内に原子炉に挿入でき、原子炉を安全に止めることができると主張していたことなどから、裁判所はそうした主張を認めたものと思われる。


司法記者を経験してきた一人としては、日本の裁判の場合、法的根拠よりも裁判官の個性や意思がその判決に反映されることを多いことを知っているだけに、今回も細かな法的な判断よりも、裁判官が政府の意向を忖度(そんたく)したとみている。



特に大飯原発は、前の民主党の野田政権で再開を認められたうえ、現政権も原発推進を示唆する自民党の安倍内閣であることから、その流れにあえて反する判決をだすことは難しいと考えられる。


が、一方で2年前の原発事故直後から全国的に広がった脱原発運動の勢いが現在ももし、あのまま続いていたならば、違った判決が出ていたかもしれない。



ただ、今日は別の裁判で、ある意味、よい判決もでている。水俣病の最高裁判決だ。2審の高裁判決を覆し、患者認定を認めた。



判事(裁判官)も法務省の官僚であるため、「上」を見て判決をだす例もあるようだが、中には、良心をもった人がいることも確かなようだ。



今回の判決は、脱原発を目指す一人ひとりに、もう一度、行動を起こす新たなきっかけになってくれればと思う。

2013年4月15日月曜日

地震学者に2タイプあり

 13日早朝、兵庫県淡路島付近を震源とする、強い地震があった。私も自宅にいたが、18年前の阪神大震災に比べ、今回の地震は縦揺れよりは、少し横揺れだと思った。
 
いずれにしろ、あの悪夢を知っているものにとっては、いやな揺れだったし、震源が、前回に近いところだと知ってひやりとした。

そして、大きな地震が起こるたびに、同じ感想をもつものが、専門家による分析で、「予測していなかった場所で起きた」というコメントだ。

さらに「現在の科学のレベルでは、地震を予知することはできない」と、前口上を述べるごとも、なんやら胡散臭さを感じるのは私だけだろうか?

つい先日も、東大の地震の先生が、「地中のコンクリートを断層と見誤った」という報道があったが似たようなことか・・・。

今日は、この20年ほど、地震を取材してきたものとして、みなさんに面白い話をひとつ、お披露目しよう。

それは、日本の地震の学者というのに2種類のグループあることをご存知だろうか?

ひとつはいわゆる地震学者と呼ばれる物理学から地震を分析する専門家たちだ。このグループは、物理学を武器に地震波を中心に、いかに地震が起きるのか(メカニズム)、また、どのように地上に住む私たちに被害がでるのかを検証している。

もうひとつのグループがまさに、活断層屋さんとも呼ばれる地質の専門家の人たちだ。この人たちは、実際に土を掘り、活断層の調査を行い、形状がどうなもので、その歴史がどんなものかを特定ことで、活断層をの特性を調べるグループだ。

この2つグループは、あまり世間では、違いを見せていないが、裏方ではときどき主張がぶつかることで、政治家の派閥のような争いをみせてきた。

めだったところでは、まさに18年前の阪神淡路大震災のときだ。震源を淡路島北部にある野島断層ということは共通認識を示したが、被害の大きかった神戸から阪神間にかけての地域で、はたして活断層が存在していたのかで、激論を激論を交わした。

そうした見解の相違がでてくる理由として、挙げられるのが、物理学からアプローチする地震学者らの姿勢がある。彼らは、ほとんど机上の論理で、物事を考えようとしていることだ。すべてデータと数学から、結果をはじきだし、結論をだそうとする。

これまでの取材経験の中で驚いたことは、地震を実際に引き起こした、現場の断層を一度もみようともしなかった地震学者がいたことだ。

一方の地質屋さんも、現地で確認されなかったものなどについては、なかなか認めようとしない人たちがいることだ。

ここで、どちらが正しいといいたいわけではなく、日本の専門家集団というのは「さもありなん」ということをいいたかった。

ちなみに先日、内閣府が発表し、物議を醸し出した、南海地震の被害予測では、この地震学者グループとはまた、別の工学部系の学者を中心とする防災専門家らだった。

官僚もみんな縦割り好き、日本はセクショナリズムが横行する社会だ。これでは、本当に未曾有の災害に対応することができるのだろうか?

南海地震、首都直下地震など大災害までにもう時間はない。

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2013年4月12日金曜日

自分を愛せない人への処方箋

今日、「五体不満足」で有名になった乙武洋匡さんと精神科医の泉谷閑示さんの対談を読んだ。タイトルは「自分を愛せない人への処方箋」だ。

乙武さんは生まれながら、手足がない障がい者だが、テレビなどで拝見するように、いつも笑顔をたやさないナイスガイだ。

一方の泉谷さんは、以前から個人的に、影響を受けてきた人物で、日本社会の住みづらさを、日本特有のムラ社会の精神構造を紐解くことで説明してきた精神科医だ。

対談は、いつも乙武さんに多く寄せられる問いから始まる。「なんで障がい者でない人が元気がなくて、障がいをもつ乙武さんがそんなに元気なの?」という一般の人からの質問だ。乙武さん曰く、ご両親が常識や世間体を気にせず、自己肯定できるように育ててくれたからだそうだ。

それに対して、泉谷さんは、現代の親御さんは子供に「あなたのために」というまやかしの言葉で、自分たちのエゴを押し付け、子供の育成を阻害してきたと現代の親の育て方を批判する。

その背景として、泉谷さんは「日本のムラ社会」をあげる。

子供のころから、親からの押し付け教育で、育った子供は大人になると何か物足りなさを感じる。人生に不満足になる。それは自分が果たせなかった夢があるからだと、泉谷さんは説く。

泉谷さんは話を続ける。夢があるならば、成人後にいくつになっても、もう一度、追求すればよいではないかと、提案する。また、そうすることで、やっと、満足できなかった自分の人生を肯定できるこようになり、やっと自分を愛せる人になれるというのだ。

しかし、多くの日本人はけっして挑戦しない。極度に失敗することを恐れるからだ。失敗すると、ゆるさない社会がその人を取り囲んでいるからだ。

泉谷さんはまさにそれが、日本社会特有の「ムラ的な共同体」という意識が表れだと指摘する。

さらに話題は、最近、流行?の「新型うつ」にもおよぶ。30代、40代で多くなるというこの新型うつは、形を変えた大人の反抗期だという。もう少し説明するとすれば、実際の青春期に反抗期を迎えることができなかった大人が、成人してから、親や社会に対する”反抗期”を迎える、それが新型うつだという。

親から独立ができていいない大人の隠れた心理だとする。

結論として2人は、日本人は、このムラ社会(親)から脱皮することが元気を取り戻す鍵で、すなわち、それは自分の価値で生きていける人間にほかならないと結ぶ。


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2013年4月11日木曜日

新しいメディアの芽生え!?

弱体化していくメディアの中で、ジャーナリストの端くれとして、日々その生き残り策を探っているが、少し希望の灯りをみるような記事を見つけたので報告する。

その記事は、「わずか8日間で1億3,000万円を調達! クラウドファンディングから生まれる新しいデジタルジャーナリズム」(現代ビジネス:松岡 由希子)<http://gendai.ismedia.jp/articles/-/35400>だ。

ウィキペリア
クラウドファンディング(英語:crowd funding)とは、不特定多数の人が通常インターネット経由で他の人々や組織に財源の提供や協力などを行うことを指す、群衆(crowd)と資金調達(funding)を組み合わせた造語である。


概要は、オランダで生まれたオンラインジャーナルが、わずか8日間で100万ユーロ(約1・3億円)を調達したというものだ。

その手法も従来の広告収益モデルに頼らず、クラウドファンディングを通じて集金したというのだ。

そして注目なのが内容で、日々、膨大な量のニュースが次々と発信され、瞬時に消費されていく、現代の「ファスト・ジャーナリズム」ではなく、背景にあるコンテキスト(文脈)を重視する「スロー・ジャーナリズム」を志向しているのが特徴だという。

このケースが今後、成功していくならば、ジャーナリズムを続けていくものにとっては、かなりの朗報だ。

いうまでもなく、日本のジャーナリズムのお先は真っ暗で、これまでも書いてきたように、商業ジャーナリズムが、横行している。

日本のジャーナリズムの主流は、新聞でもテレビでもそれこそ「ファスト・ジャーナリズム」が幅をきかせすぎて、コンテキストまで迫られていないことだ。だから、どれも同じようなニュースが報道されている。

ただ、問題点も予想される。日本では、特に企業によるスポンサー料で多くの収益をまかなっているメディアが一般的だ。つまり無料でニュースをみることになれているメディアの読者や視聴者(もしくは団体や企業)が、そうしたニューメディアに出資するかだ。

昨今の経済の悪化で、欧米でも、記者が職をなくすケースが増えている。その結果、何が起こっているのか?-ジャーナリズムの衰退だ。

話は飛ぶが、多くの日本人は、ジャーナリズムの衰退など起こっていないと考えているだろうが、いま、世界中のメディアで深刻な事態なっている。

「毎日のように、テレビニュースが流れ、新聞だって届いているじゃないか」
それは上記の記事にあるように、「ファスト・ジャーナリズム」のことだ。

起こっているニュースがどうやって発生し、その背景は何で、私たちの生活にどう影響する・・・などなどが、「スロージャーナリズム」なのだ。

そう考えると、金だけの問題ではないことを忘れていた。「スロー・ジャーナリズム」の原稿を書ける記者が日本にどれほどいるのか・・・これもかなり深刻な問題だ!

2013年4月9日火曜日

ベテラン記者の行く末・・・

最近、私の回りの50代前後のベテラン記者が、新聞社や放送局を去るケースが増えている。

偶然もあるとは思うが、何人かに、共通点があることに気付いた。

50代前後とえば、一兵卒の地回りの記者からはとうの昔に卒業、キャップやデスクすら担当を終え、ライン部長か、編集員や論説委員、解説委員などといった、社を代表する役職に就く年代だ。そうしたベテラン勢にいったい何が起きているのか?

ある一人は、都会での記者生活をやめ、信州の居を構え、今後は農業を営むという。激務の記者生活で、精神的に疲れ果てた気持ちは私も痛いほど理解できる。

またある一人は、毎日続く、泊まり、明けのルーティンに嫌気をさし、”社畜”の生活を卒業したいと、語った。

いずれも忙しい記者生活から、静かな生活を送りたいというのがその理由らしい。

記者を目指したモノの思いは、若いころはもちろん、「社会正義」などといった、青臭い思いから始まったものも多い。

それが年をとるにつけて、一般の会社員の方と同じく、社会にもまれ、すこしづつそうした思いから遠ざかっていったことも、否定はできない。

ただ、詳しい胸の内は聞けてはいないが、2年前の東日本大震災がひとつの転機になっていると私は想像している。

抗しがたい自然災害を前に、自分たちの力のなさを見せ付けられた無力感。あのとき記者全員が感じた正直な気持ちだろう。

しかし、それだけではないはずだ。時期が悪くして、日本経済が不調となり、新聞社も放送局も営業利益がでないことに苦しむ中、震災が起こった。

私もその一人だが、原発報道をめぐり、スポンサーからの営業圧力が増した時期でもあった。言論の自由を守ると建前と、社を倒産させずに食いつないでいく、ハザマに立たさえれた記者も多かった。

震災でフラッシュバックした「若い記者のころの思い」。

退社の決意はそんな”記者魂”の最後の抵抗だったのかもしれない。

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2013年4月8日月曜日

日本を変える?

今日は大上段に構えたお話をしてみたい。

私は、この日本の空気を変えたいと考えてる。2年前の3・11の震災で、日本は明らかに転換期を迎えたと思った。

当時、某放送局の報道部のデスクで、集められる情報をさばきながら、絶望を感じ続けたことを今も思いだす。

あのとき、すべてが変わったと、長い記者経験の中で感じた・・・・。

そして2年が経ち、また、元のような生活が戻ってきた錯覚に陥っている、だれもが。

日本は不思議なことに、自分たちの歴史の転換期に、大地震を迎えている。

例をあげれば、江戸・安政期の地震で、江戸幕府が崩壊し、昭和の南海地震で、先に戦争が終結した。

この東日本大震災も、そのひとつと考えられるが、恐ろしいことをいえば、まだ、”崩壊”のシナリオはその途上だ。

私は宗教家や、預言者ではないが、今後、さらなる巨大地震が来ることは、学者の言葉を借りずとも明らかだ。

政府の発表では、関東直下地震や、南海地震の発生が叫ばれているが、それだけではない。

必ずそれらの前後には、阪神大震災クラスの活断層地震が、日本各地が起こっているのだ。

地震災害による被害だけではけして、日本は終わりを迎えることはない。どんなに被害が大きかろうと、日本の歴史をみるように、10年、もしくは数十年、もっといえば、100年もあれば、きっと立ち直ることはできる。

しかし、原発による放射能汚染は、一度拡散すれば、もうどうすることもできない。

今、福島の人たちが故郷を追われるように、今度は日本人全員が、そうなるとも限られない。

楽観論を主張する人もいる。

「チェルノブイリでは、多くの人が事故で死んだが、福島では、一人も死んでいない。ましてや、放射能被害による、死者など考えられない。考えすぎだ」

震災直後、私は「原発を止めなければ、日本はだめになる」と考えた。その考えは今も変わっていない。

戦後のエネルギーの問題から、社会や国を動かすシステム自身、そして日本のすべての空気を象徴するのが原発だからだ。

では、何をしなければならないのか?

それは、自分自身が動くことだ。自分で意見をいい、選挙に行き、回りの人に働きかける。

けして、あきらめてはいけない。

それが、このブログを始めた理由だ。マス(コミ)から、個へ。

はたして、あなたは誰の言葉に耳を傾ける?

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2013年4月5日金曜日

テレビ報道の現状

昨日はテレビのSIUのことを書いたが、今日は少し、現場のことを書きたいと思う。

最近読んだ記事で面白いと思ったものがあった。

「米国メディア:ニュースがないのは悪い知らせ」(英エコノミスト誌 2013年3月30日号)だ。

かいつまむと、人員不足で独自報道が減り続け、視聴率を獲得するのに米国のテレビは四苦八苦しているというお話だ。

さらに興味をそそられることに、記事では新聞でも同じ傾向があり、記者が減っているため、紙面をうめるのに、シンクタンクが提供するコンテンツを特集に組むことが多くなっているという。

また、信じられないことだが、1980年代にはPRスタッフと記者数がほぼ同等だったものが、2008年にはおよそ4対1になったという(PRスタッフが増えた!)。

これでは面白い興味あるニュースは発掘することはできるはずはない。

その背景には、もちろんヤフーやグーグルなどのデジタル広告にお金が流れ込んだことが挙げられるが、視聴者や読者のニュースに対する嗜好の違いがでてきていることも指摘している。


地方テレビ局のニュース放送の4割は、天気、交通、スポーツが占めている。1つの話題に割かれる平均時間は短くなる一方だ。地方テレビ局では、1分以上かけるニュースは全体の2割程度で、半分は30秒に満たない。 ケーブルテレビのニュース専門局では、過去5年間で、日中の番組でカメラマンやリポーターが実際に現地に出向かなければならない中継番組が3割減少した。安上がりなインタビュー枠が増えている。 米国人がテレビ解説者を好むのは、事実よりも意見を聞きたがる傾向が強くなっているからかもしれない。


つまり調査報道といった、隠された事実の暴露よりは、動いているニュースをどうとらえればよいか、専門家によるコメントがほしいというわけだ。

この傾向は日本のテレビと比較すると、さらに度合いを増しているように思うし、解説はさらに稚拙になる。いわずもがなだが、多くの視聴者思う「なんで、タレントやお笑い芸人がニュースのコメントするの?」だ。

メディアのデジタル化で、情報は確かに無料で簡単に入手できるようになったが、ニュースの現場を知るものとして多くの疑問を抱かざる得ない状況となっている。

米国ではこうした動きに対して、記者自身が、動きを見せている。テレビしろ、新聞にしろ、コマーシャルな世界に身を置くことをあきらめ、寄付により資金などで、取材を続けることを試みている。

日本のメディアの中で、とくに3・11以降、私が感じることは、報道よりもバラエティ番組などを重視する流れが速まっていることだ。人件費がかかるうえ、裁判などのリスクを抱えることが多い報道よりも、手間隙かからず、タレントを並べるだけでつくれる番組の方がリーゾナブルというわけだ。

この春のラジオやテレビの番組の改編をぜひみてほしい。
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2013年4月4日木曜日

テレビの未来


テレビの視聴者離れが深刻だ。特に20代を中心とする若者層がテレビを見なくなってきている。

視聴率が長期凋落傾向にあることは、よく知られている。過去、ゴールデンタイムや、プライムタイムといった時間に、家族団らんでテレビを囲った時代はとうに過ぎ去り、各局とも10%の2桁に数字をのせるだけでも大変な時代になってきている。

そして、今、こうした状況にあるテレビ局を、次なるプレッシャーが追い討ちをかけようとしている。

それはセットインユース(SIU)の減少だ。セットインユースとは、受像機の台数に対して、実際にスイッチを入れて視聴しているテレビの割合がどの位かを示すものだ。

つまり、放送されている番組を見る見ないではなくて、テレビ自体の存在を無視する人が増えてきているというのだ。

この話も特段珍しいものではないが、3月で締め切られた昨年度の数字を見ると、関西で人気のある某チャンネルがゴールデンで約1.7%もSIUの数字も落としている。

業界を知る人間としては、視聴率の低下よりも、驚く結果となった。

私の友人の中にも、テレビを一切見ないという御仁は何人かいる。その理由を訊ねてみると、だいたいが「やかましい」「低レベルな内容」「お笑いタレントを並べているだけ」・・・等々、てきびしい。

しかし、それは40代、50代のりっぱな大人たちの意見だ。ではテレビ好きといわれる若者はどうなのだろうか?

PCや、スマホといった別メディアに移ったといわれることが多いが、本当か?

今いわれている放送と通信の融合ができるようになれば、過去の数字をキープすることができるのだろうか?

スマートテレビの出現が、現状を変えるのか?

残念ながら、私はその答えを出す情報を持ち合わせてはいない。

しかし、そうしたことだけはなく、若者の間で、これまでとは何か違った匂いを感じるのは私だけだろうか?
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2013年4月2日火曜日

ふくしま集団疎開裁判


今日は私が原発事故以来、関わってきている裁判について書いてみたいと思う。

みなさんは「ふくしま集団疎開裁判」を知っているだろうか?


 福島原発事故の放射能被曝による健康被害を懸念した郡山市の小中学生14人と保護者たちが 集団疎開を求めて裁判を起こしている裁判で、仙台高裁で現在、抗告審が続いている。
 裁判は原告側が2011年6月に郡山市を相手取り、福島地裁郡山支部に仮処分申請して始まった。 1年8カ月にわたる「異例」の長期裁判を経て、近く結論が出るとみられている。



そして、その裁判の判決が迫っていると、支援を求め、きょう知人の弁護士がメール送ってきた。

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疎開裁判は今年1月21日に審理を終り、判決は、弁護団の予測では遅くとも
3月末までには間違いなく出る(なおかつ出すなら休みの前日の金曜日に出
す)ということで、3月最後の先週金曜日、緊張のなか待機しましたが、とう
とう出ませんでした。

志賀原発差止判決を書いた裁判長で、裁判官経験30年以上のベテランの弁護
団の井戸謙一さんも「予測が完全にはずれた。通常では予測できないことが起
きているとしか思えない」と驚愕するような異例の展開となりました。

私の読みでは、判決が出ない最大の理由は3人の裁判官の合議が一致しなくな
ったから、ズバリ言えば裁判長の見解に、左右の2人の裁判官が異を唱えるに
至ったからです。

狡猾な裁判長なら、そこで、自分と反対意見の左右裁判官が異動するのを待っ
て、新任の裁判官を口説き落として却下判決を下すでしょう。
それを確認するため、本日、裁判所に確かめたところ、結果は「裁判官全員異
動はない」でした。
つまり、引き続き、裁判所内部で裁判長と2人の裁判官の間で対立状態、一種
の内部抗争状態が続くことになります。

当初は裁判所内部で「訴え却下」で結論が一致していた筈なのに、それがここ
まで抵抗勢力が力をつけるに至ったのは、「福島の子ども達を救え」という市
民の声が大きくなり、抵抗勢力を励ましたからです。

これに、原子力ムラの主たちが青筋を立てて激怒し、秩序回復のための行動に
出ることは明らかです。

今こそ、子ども達の命を支持する若い裁判官たちの背中を押して支える必要が
あります!

そのため、先日スタートした以下の「判決前夜アクション」に、文字でも映像
でもいいのでメッセージを寄せてもらうように、ドイツに滞在中の山本太郎さ
んとか、至るところでお願いしています。
(日本語版)
http://www.fukushima-sokai.net/action/opinion.php

(英語版)
http://www.fukushima-sokai.net/action/opinion-e.php

この決定的な重要な瞬間に、是非、皆さんにも、一人でも多くの方に、「判決
前夜アクション」に疎開裁判を支持する声を寄せ、原子力ムラその他からの圧
力に体を張って抵抗している裁判官たちを勇気づけ、励ましてくださるよう、
切にお願い申し上げます。

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この裁判は、2つの意味で重要な意味をもっている。

ひとつは、公判の中で、原告側が「福島の子供たちはチェルノブイリより危険である」ことを訴え、「今後、甲状腺がんの激増」を指摘していることだ。

そして2つ目が、上記にふれられているように、裁判官同士の意見の違いの問題だ。これは今後も原発を推進しようとする中央の声を受けた年配の裁判官と、子供たちの命を守ろうとする若い裁判官との対立で、将来の日本の原発行政をうらなうものだ。

ほとんどの大マスコミでは取り上げられていないが、震災後、注目されなければならない裁判のひとつである。
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