2013年11月30日土曜日

日本は"自由”のない戦前に!辺見庸が予知した日本の現在

作家の辺見庸のブログ記事があまりに人気を呼んでいるので、その続編を今日はお送りしたい。

その背景には、安倍現政権が、無理に制定に向けて論議進めている「秘密保護法」があることは想像に難くない。

今回は、辺見に対して、昨年5月に行われたロングインタビューを基に、「秘密保護法」に関連しそうな箇所を私見で抜粋したものをご紹介する。





辺見庸ロング・インタビュー「国策を問う――沖縄と東北の40年」
(沖縄タイムス 2012年5月10日、同11日)

<復帰40年・安保の実相 作家の辺見庸さんが迫る>
(インタビュアー・渡辺豪)

【本文見出し】
【前編】 「沖縄 いまなお『石』扱い」(2012年4月10日掲載)
Ⅰ.311――米軍支援の真意
Ⅱ.「トモダチ作戦」を美談化
Ⅲ.「国難」盾に押しつけ
Ⅳ.ファシズム醸す気運
Ⅴ.増幅する破局の予感
Ⅵ.激変に無自覚な社会

【後編】 「徹底的破滅から光」(2012年4月11日掲載)
Ⅰ.露出した差別の構造
Ⅱ痛みますます希薄に
Ⅲ.基地全廃いまこそ追求
Ⅳ. 虚妄に覆われた時代
Ⅴ.「肝苦りさ」闘いの原点





(4)ファシズム醸す気運




-辺見さんは著書で「なにかはかりがたいものは、上から高圧的に布かれているのでなく、むしろ下から醸されているようです」と指摘していますね。




辺見 ファシズムっていうのは必ずしも強権的に「上から」だけくるものではなくて、動態としてはマスメディアに煽られて下からもわき上かってくる。

政治権力とメディア、人心が相乗して、居丈高になっていく。個人、弱者、少数者、異議申し立て者を押しのけて、「国家」や「ニッポン」という幻想がとめどなく膨張してゆく。

〈尖閣をめぐり中国漁船の領海侵犯があった。中国側に反省はない。

東シナ海ガス田問題もある。北方領土もロシア側のやりたい放題だ。

3・11があった。政府は弱腰で、無為無策だ。北朝鮮のミサイル問題、核問題もある。日本は国際社会からなめられている〉――という集団的被害者意識のなかで、例えば、集団的自衛権の問題についてもう誰も論じない。

憲法9条なんてもうほとんど存在しないかのような流れになっている。


逆に、「なめられてたまるか」という勇ましい声が勢いづいてきている。

ミリタントな、なにやら好戦的な主張が、震災復興のスローガンとともに世の耳目をひき共感を集めたりしています。

尖閣を東京都が買う、という石原慎太郎知事の発言もそうでした。「政府にほえづらかかせてやる」という石原発言にマスコミは喜んでとびつきましたが、尖閣を買って、その先をどうするのか、じつは大した展望がない。

もともと衆議にはかっていない、いわば際物(きわもの)的構想であり、一昔前なら一笑に付されたものがいまは石垣市長が賛同したり、大阪維新の会府議団も支持表明したりと冗談ではすまない空気になっている。

勇ましい発言をすればするほど大衆受けする時代がすでに来た気がします。






ミリタントな気分を誰がたきつけているかというと、政治家だけでなく、戦前、戦中もそうだったけれど、マスメディアですよね。

マスメディアがさかんに笛を吹き、人びとが踊りを踊っている。テレビは視聴率がとれればいい、新聞も負けじと派手な見出しを立てて読ませていこうとする。もう一歩進んで冷静に考えてみるというのではない。それが事態をますます悪くしている。




大震災や原発事故のようなことが起きると、人間の情動は不安定になる。

そんなときにもてはやされるのが石原氏や大阪市長の橋下徹氏のような論調。好戦的な論調に溜飲を下げる者が増え、支持を得やすいわけです。

だからこそ新聞はそれにチェックを入れなきゃならないはずなんだけれども、その役割を果たしているとは思えない。

やっぱり何度も言うけれども、ルース大使が被災地に行ったことや「トモダチ作戦」の多面性についてちょっと距離を置いた、分析的な報道をしたっていうのはほとんどない。沖縄2紙が写真を使わなかったりしたのが冷淡だとネットで叩かれたりしている。それが気持ち悪いんだよね、はっきり言って。


しかし河北新報(東北地方のブロック紙)なんかは、沖縄の問題と東北の問題には同質性があるという独自の報道をしていますね。僕は「同質性」には大いに疑問があるけどね。だから必ずしも全部が全部じゃないんだけれども、でも全国紙はどこもほとんど同じように「トモダチ作戦」絶賛、絶賛だからね。これは異様ですよ。


これは関係がないようで関係あると思っているんだけれども、複数の在京メディア関係者から実際に聞いた話で、福島第1原発の事故のときに当初からメルトダウンが起きたことは分かっていたと。

でもメルトダウンという衝撃的な用語を使わせない空気が社内にあった。で、メルトダウンという言葉の使用をみんなで避けたと。それがしばらく続いた。

そのことともね、どこかで関係がある。自己規制と自己矛盾ですね。「トモダチ作戦」なんて、何年も記者生活をやっていたら、あれを米側がただのフレンドシップだけでやるわけがないことぐらい、そんなことは常識でしょう。

何らかの戦略的な目論みがあるはずだと取材し、分析し、報道するのが、ジャーナリズムの仕事の基本なんだけれども、それをしなかった。あれだけの窮状に遭って助けてもらっているのに、それにけちつけることはできないというセンチメントが優先されていった。

背景には、憲法9条と日米安保という本質的に矛盾する言語を、2つながら、無責任に肯定している、受けいれているという「スキゾ」というか分裂症的無意識がある。そのしわよせを沖縄が負わされつづけている。40周年に際して、本土の戦後民主主義はこの人格分裂について徹底的に自己分析すべきです。その結果、憲法9条と日米安保が、意外にも「二卵性双生児」だったということになっても、この際、議論を深めるべきです。


にしても、言うべきことを言わず、なすべきことをしていない。


期待された行為を行わないことによって成立する犯罪を「不作為犯」と言いますが、マスメディアもそうではないでしょうか。


それが全体として新しいファシズムにつながっていく。


今、この国には間違いなく、もう後戻りできないぐらいの勢いでおかしな気流がわいてきています


僕が驚いているのは、沖縄の市民に対する反発っていうのかな、反感みたいなものがほの見えること。彼らは東北の震災についてあまり考えずに自分たちのことだけ言っているといった、そういう発想が最近増えてきているような気がします。これはとんでもない間違いです。同時に、沖縄にも米軍基地反対が言いにくいといった自己規制の空気が生じていないかわたしは心配です。





(6)激変に無自覚な社会


-福島第1原発の事故検証も不十分な中、誰一人、責任をとろうとしないまま、政府は原発再稼働を画策しています。マスメディアの役割が機能していないともいえるのでしょうか。


辺見 資本とテクノロジーと人間の欲望とか弱さという近代の本質が、集中的に出ているのが原発の問題だと思います。

近代は長くそれを隠してきたのですが、3・11の衝撃でみんなむき出されてしまった。しかし、むきだされた近代の断面をまだわれわれはしっかり正視していない。立ち止まって整理できていないって思うわけです。福島というものが単に精神、情念といったものだけで語られるんじゃなく、どういうふうに深くとらえ直して見るのかが問われている。


僕は近代全体を通して大きな枠から見てみたいと考えています。原発の問題というのは消費資本主義ときってもきれない。だから今、秘やかに政府側が考えているのはエネルギーの供給態勢の中で原発は必要だっていう考え方ですよ。だから段階を踏みながら再稼働を考えている。僕はそれについて世論もゆっくりした速度だけれども、当初の再稼働反対から、分からない、ないしはやむを得ないみたいな議論がどんどん増えていって、それをマスメディアが後押ししているように感じています。実際、夏場に停電騒ぎにでもなると、ますますそうなっていくだろうなって僕は見ています。


近代の崩壊から新しい時代に移る過渡期にある今は、この先何が起きるか見えないと思っているんです。

だって現実に今、首都直下型地震が起きてもおかしくないわけだから。昨年の3月11日を起点にした情勢だけで、これからをはかることはできない。もっと3連続地震みたいなものを前提にしなければならないとしたら、原発とかの問題にとどまらない。一体、日本という国は人間が住むのに適しているのかどうかっていうところまで考え直さないといかんと。議論はそこまでいってもいいんじゃないかと思うんですね。女性の皇位継承問題が国家の大事なんてことを「本土」の新聞が書いてますが、それどころではないのです。


-マスメディアが抱える問題として「記憶の空洞化」があると思います。辺見さんは著書で「この国が長崎、広島というものを年中行事化したことで痛苦な記憶を空洞化してきた」とも指摘されています。8・6(広島平和記念日)や8・9(長崎原爆の日)を年中行事化したのと同様、沖縄の5・15(復帰記念日)や6・23(慰霊の日)そして3・11も主にメディアによって記号化されることで、「痛み」が空洞化していく懸念もあります。


辺見 忘却が一番恐いですね。


やっぱり執拗に物事を覚えておかなければいけない。それが必要だと思うんだけれども、どんどん忘れ去られていく。事実関係もゆがめられていく。それで「トモダチ作戦」なんかでみんな涙流して喜んでしまう。本当は毎日毎日がドラスティックに変化しているんだけれど、それが自覚できない。それが一番危険なことなんじゃないかな。


メディアの責任は大きいと思います。ただ、メディアの責任といった場合、どうしても僕らは人格的に考えがちだけど、集合的な意識であって、誰も責任をとろうとしない。結局、僕は個体に帰すると思うんです、「個」に。つまり、わたしはどう考えるか。どう振る舞うべきか。自分はどう思うのか、どうするのかと。


ワイマール憲法下のドイツがナチスの台頭を許し、世界最先端と言われた民主主義が世界で最悪の独裁者を育ててしまった経緯には現在でも学ぶべき点があります。





-沖縄密約事件を、辺見さんはどのように見てこられましたか。


辺見 密約情報を得た西山太吉さんは権力と権力の意を体した「言論テロリズム」に撃たれたのです。

あれ以降、ジャーナリズムは萎縮してしまい国家機密にかかわるスクープが政府の思惑どおりに激減した。

新聞は西山さんを守りきれなかった、というより守らなかった。

メディアっていうのは所詮そんなものだと言えば言える。でもその中でも、やっぱり西山さん的な「例外」というのが結局、歴史の暗部、真相を見せてくれたわけだから、権力の隠蔽工作に立ち向かう試みを棄ててはいけない。

国家権力とジャーナリズムは絶対に永遠に折り合えないものです。折り合ってはならない。


国家機密はスッパ抜くか隠されるか、スクープするか隠蔽されるか、です。記者の生命線はそこにある。いまは権力とメディアが握手するばかりじゃないですか。記者は徒党を組むな、例外をやれ、と僕は思う。ケチョンケチョンにやられるまで例外をやって、10年後、20年後にああ、あれはこんなに大きな意味があったのかと。というふうな取材をしたら、その段階ではくそみそに言われるよ。

会社からも余計なことするなって言われる。誰もかばいはしない。ますますそういう時代になってきている。でも今ぐらい特ダネが転がっている時代はないと思うよ。権力がいい気になって調子にのっており、わきが甘くなっているからね。


20代で初めて沖縄に行って教えてもらった最も印象深い言葉は「肝苦(ちむぐ)りさ」でした。いまでもあるでしょう? これ、本土にはない。言葉より前にその感覚が薄い。「断腸の思い」ではただの挨拶みたいで嘘臭い。

ギリシャ語には「スプランクニゾマイ(splanknizomai)」という言葉があるらしいですね。不思議ですね。「スプランクナ」(はらわた)を動詞にしたもので、「人の苦難を見たときに、こちらのはらわたも痛む、かき乱れる」という身体感覚です。


「肝苦りさ」――闘いの原点はここにしかない。


約3時間にわたるインタビューの結びとして、辺見さんに「沖縄の記者たちにひと言」とお願いし、こんな言葉をいただいた。


「常に例外的存在になれ、それが一番の贅沢なんじゃないか、記者という職能の一番の贅沢は、お前は一人しかいないってことだと思う。

それに記者は独りだよ、徹底的に。みんなとつるんで、上とも横ともみんなと仲良くやろうとしても無理。

考え方も独りで徹底すること。集団に隠れたらもう終わりだよ。集団に隠れないこと」。

私の本棚には、辺見さんの著作がたくさん並ぶ。その中で最も古い1冊を持参し、サインを請うた。


手元には「独考独航」の文字が残った。

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-これは私たちジャーナリストに対してだけ送られた言葉ではない。本当の民主主義に気づき始めたすべての市民に対する言葉だと思う。

3・11以降、何度も思うことがある。日本人は与えられた民主主義を、本物の自分のものにするための闘いが、始まったばかりだ、

全体主義、国家主義でしかなかった、戦前の日本に、本当に取り組む時期が今、始まった。

血で血を洗う闘いの後、勝ち取った欧州と異なり、戦後のアメリカから与えられた日本の民主主義は、やはり偽物だった。

しかし、ようやく、本物の民主主義を自分のものにするときがきたのだ。時代の逆風はその試練を試すためにあると私は思う。

ゆえに苦難が前にはだかる現在こそ、こぶしを高く突き上げることが必要になる。


諦めてはいけない。後退には、国家主義者たちのあざけ笑いしか残されていないのだから。




2013年11月25日月曜日

小笠原諸島の“新島”出現は、大地震の前触れ!?

小笠原諸島で出現した”新島”が、「大地震の前兆ではないか?」と注目を集めている。


新島は、11月20日16時20分頃、小笠原諸島で海底火山の噴火により出現した。島が現れたのは、東京から約1000Kmのところにある無人島・西之島の南南東500mほどのところで、直径約200mにわたる新たな陸地ができていた。


この新島の出現が、今後、どのような動きにつながっていくのか?地球規模の地震&火山活動に詳しい立命館大学歴史都市防災研究センターの高橋学教授に聞いた。

質問に対する、高橋教授は開口一番の言葉は


東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)はまだ継続中だと考えています」ーだった。


高橋教授は、先の東北の巨大地震から、今回の新島出現までに4つの段階に分けて、解説をする。


まず、その4つの段階とはー以下の通り。


1)太平洋プレートの圧力で北米プレートに割れ目が入り内陸直下型地震が発生する段階(岩手宮城内陸地震)


2)太平洋プレートの圧縮により、北米プレート内のマグマだまりから火山の噴火(今回なし)


3)前震および本震(2013年11月17日の南米・南極間のスコシアプレートでも前日には中規模地震が頻発)



4)アスぺリティ(固着域)の摩擦が少なくなることで太平洋プレートの移動速度が10cm/年が30~40cm/年に早まる


高橋教授は、このように、4つ段階に分けた上で、現在の状況を、4)にあたるとしている。


そして、その4)の段階で、日本列島で起きている現象についてー




a)太平洋プレートがちぎれる→アウターライズ型地震発生(何度か発生。津波も発生。現在進行中。2004年のスマトラ沖地震でも、本格的な同種の地震が2012年に発生)

b)太平洋プレートが一気に潜り込みマグマとなり火山噴出(日本ではまだ起きていないが、八甲田山富士山で兆候あり。M9レベルの地震で火山が爆発していないのは、東北地方太平洋沖地震だけ)

c)内陸直下型地震(千葉や福島第一原発の西側から仙台長町断層を経て北上川)。

d)太平洋プレートと動きの遅い4cm/年のフィリピン海プレートの境界でストレス(富士山・箱根、伊豆小笠原諸島「西ノ島噴火」)


つまり、小笠原諸島の“新島”の誕生は、このd)の現象を指していて、最初の言葉通り、


東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)はまだ継続中だと考えています」

これに帰結するわけだ。


そして、高橋教授がこの理論からすると、気になることが残されているという。


それは、富士山などの火山噴火と、太平洋プレートの影響を受けた南海地震(フィリピン海プレート)と、首都直下など関東圏を直撃する大地震だ。


2つの地震の発生は、先の4つの段階のさらに、次の段階となるが、富士山の火山の噴火は起こってもおかしくない段階に入っているが・・・・


その問いに応えるように、歴史地震にも詳しい木村政昭・琉球大学名誉教授が、最近の雑誌のインタビューで、その解のヒントを与えてくれている。


「たとえば、1707年の宝永地震(M8.4)という3連動型南海トラフ地震が発生した49日後に、富士山が有史後、最大級の被害を及ぼした宝永噴火を起こした」


「しかし現実には、それよりも普遍性を持ち、しかも圧倒的に事例が多いのが大地震に先立つ噴火の例である」


木村名誉教授は力説している。


つまり、「大地震→噴火」よりも、「噴火→大地震」というパターンの方が絶対的に多いというのだ。

いずれにしろ、私たちには、次の火山噴火や大地震発生までに、あまり時間は残されていないようだ。




2013年11月18日月曜日

4号機燃料取り出し始まる。まだ、東電、政府は国民をだまし続けるのか?

東京電力はきょうから、福島第1原子力発電所4号機の使用済み核燃料プールから、燃料を取り出すを始めた。


午後にも燃料をクレーンでつり上げる作業を開始する見通しで、本格的な取り出しは事故後初めて。来年末までかけて全ての燃料を移送する予定だ。




この作業の危険性については、これまで何度も、このブログで取り上げてきた(「君は逃げる準備ができたか?いよいよ始まる核燃料の取り出し」http://eggman-warlrus.blogspot.jp/2013/11/blog-post_9.html「これがハルマゲドン?人類滅亡か!~4号機の燃料取り出し作業」http://eggman-warlrus.blogspot.jp/2013/10/4.html>など参照)。


本当に神に祈るしかない状況だが、この作業を前に“どえらいニュース”が飛び込んできた。


それは「実は、震災前から1号機の燃料棒70本が破損していた!」というニュースだ。先週末土曜日に報道されたために(発表のタイミングは故意にも感じるが・・・)、あまり注目されていないが、これは超ド級のニュースだ。


4号機の燃料棒の取り出し作業が始まる18日(月)を前に、さらっと週末(15日)にさりげなく流すあたりが、「さすが、東電さん」(皮肉ですよ!)
という感じもするが、けして見逃してはいけない。


これは、1号機のプールの中に保管されている使用済み燃料292体約4分の1にもあたり、これほどの問題について、これまで東電も国も、事実関係が明らかにしてこなかった!




何よりも問題なのは、損傷した燃料棒をプールから取り出す技術はまったく、確立していない。つまり、現段階の技術では、壊れた燃料棒は取り出せないのだ。


そして、ご存知のない方のために、この問題は1号機だけのことではないことを説明しておくと・・・





損傷した燃料棒はこの1号機ほかに、


2号機と4号機のプールにそれぞれ3体、3号機プールにも4体あり、いまわかっているだけで合わせて80体もあるのだ。



損傷した燃料が1号機に集中している理由について、東電は「国への報告は随時してきた。1号機は当社で最も古い原発で、燃料棒の製造時、品質管理に問題があり粗悪品が多かったと聞いている。2号機以降は燃料棒の改良が進み、品質は改善した」としれっと、説明している。


こんな情報は、とっくの昔にわかっているはずのなのに、今頃、公表してくるとは、もう開いた口がふさがらないどころから、はずれそうそうだ。



どこまで、国民を愚弄すれば、いいのだろうか?この分だと、まだまだ、隠していることが山ほどありそうだ。


事故以来、「東電&国」と、「国民」との間を結ぶものは、「信用」の文字しかない


今回の4号機プールからの、燃料棒取り出し作業でも、我々「国民」が生き延びるには、国そして東電を信用する」しかない





もし、クレーンで吊り上げ作業中、ラックが落下したり、プールが崩壊するような大事態になれば、すぐさま、情報を国民に伝えてもらわなければ、えらいことになる


今度は、3・11後のSPEEDIの情報のように、国民にながす機会を逃すような事態になれば、もう本当に我々は、いまの政府(国)を信じることができなくなる


今回の4号機の燃料棒の取り出し作業は、いろんな意味で、この国の今後を占う最後の試金石となるかもしれない。

2013年11月9日土曜日

君は逃げる準備ができたか?いよいよ始まる核燃料の取り出し。

このブログでも何度にもわたって、警告してきた福島原発4号機の使用済み核燃料の取り出し作業が今月中旬にも始まることになった。


東電の小野明第1原発所長は「事故が発生する可能性はほとんどないと信じる」と自信をみせるが、なぜか空元気だけにしかみえない。
当たり前だ。事故で破損した不安定な原発でのこんな危険な作業は人類史上初めての試みだからだ。日本人のほとんどは、まだ、その危険性に気づいていないが、まさにロシアンルーレットと同じで、一歩間違えれば、日本人、いや全人類の生命を脅かす可能性がある作業だからだ。


とても、素面(しらふ)では、日常を過ごすことは、私ならばできない。アベノミクスで「我が世の春」と浮かれている東京の人たちは、本当に正気でいれるのだろうか?


もし、使用済み核燃料が、一本でも、落下するようなことになれば、今度は東京を含む関東一円にも影響がでることはお知りだろうか?


作業が始まると同時に、避難する準備をしてもしかるべき事態なのは、ご存知ではないのだろか?


日本のマスメディアは、その危険性にあまり触れようとしていないが、世界のメディアや専門家は、本当に固唾をのんで、作業の推移をみつめている。


アメリカのモニツエネルギー長官は、わざわざ作業前の福島第一原発の現場まで訪れ、東電の担当者らから作業などについて、事情聴取し、詳細な指導を行ったとされる。





会見で、モニツ長官は「東京電力や日本政府にとり、廃炉に向けた重要な節目になる」と、平静を装ったコメントを示したものの、本心では心配でしようがないのだ。


もう一度、危険性をお分かりでない人のために説明を付け加えておく。


東日本大震災で、福島原発の1~3号機でメルトダウンを起こした。4号機はメルトダウンしなかったが、水素爆発で建屋がぶっ飛び、その上部にある燃料プールに、1533体もの使用済みの核燃料(燃料棒)が残された。


建屋が倒壊する恐れがあり、その取り出しは急務で、今回の作業となるのだが、プールの上に急造されたクレーンで燃料棒を取り出し、約50メートルの距離にある共用プールに移すという工程には、いくつもの危険が待ち受けている。


作業には熟練の技術が必要な上、燃料棒を数十体ずつキャスクという金属容器に詰める作業はすべて水中での操作。燃料棒を少しでも水から露出させたら、作業員は深刻な被曝を強いられる。水中で落下させても、同じく汚染は深刻なものとなり、作業員全員が退避しなければならない。


さらに無事にキャスクに詰め、専用トレーラーに載せて共用プールまで移動に成功させたとしても、次はまったく逆の工程で、燃料棒をプールに収めなければならない。しかもこんな作業を4号機だけでも2014年末まで、約1年間も延々と続けなければならないのだ。


もし、作業中に地震などで、キャスクが地上に落下するようなことにでもなれば、中の燃料が露出し、大量の放射性物質が放出され、作業員はもう近づけなくなる。ご存知ないかも知れないが、むき出しになった燃料は、「人間が近づけば即死」というすさまじい放射線量だ。


そして、崩壊熱を帯びた燃料棒は、溶融するハメとなり、燃料棒の回収はまったく困難になってしまう。


では、こうなると、どうなるか・・・


1533体もの燃料がむき出しになった場合、放出される放射性物質はチェルノブイリ事故の約10倍ともいわれる。「東日本に人が住めなくなる」といわれる最悪の事態だ。もちろん東京にも人は住めない。


では、「こんな危険な作業をやらなければいいではないか?」という声もあるかもしれないが、そうはいかない。


4号機は3・11の地震で、建て屋自体がすでに、がたがたで、いつ倒壊してもおかしくないのだ。つまり、この状態でほっとおいても、次の大地震や津波など(台風ですら)で、同じく、燃料棒が落下すれば、同じく大量の放射線を放出する運命にあるのだ。


つまり、この作業は「退くに退けない」避けることのできない作業なのだ。


「アンダーコントロール」。そんなことがいえる状況ではないことがお分かりか?本当にいまは、神に祈るしか、道は残されていない。









2013年11月1日金曜日

「憤れ!」~原発、秘密保護法・・反対する人たちに捧げる

この一週間、秘密保護法案について、あれこれ考えた。


多くのほかの知識人と同様に、あれこれ詳細に、いかにこの法案がおろかな内容で、今後の日本に悪弊をもたらすものかを示す、文章を何本か草稿したが、悩んだあげく、発表することをあきらめた(私以上にすばらしいものを発表されている方が多いため)。


代わりに、そうした日本の動きに反対し、心配する人たちに、本日はある本を紹介することで、私の気持ちを伝えることにした。



それがこの本だ。





ステファヌ・エセル著の「憤れ!」だ(邦題「怒れ!憤れ!」日経BP者)。




作者のエセル氏はご存知の方も多いと思うが、世界人権宣言の起草に携わった一人だ。




その経歴はきわめてユニークでここで特記しておきたい。



エセル氏は1917年、ドイツ系ユダヤ人で作家の父と画家の母の子としてベルリンで生れ、1924年に一家でパリに移住。


フランスに帰化後、1941年にロンドンの「自由フランス亡命政府」に加わり、1944年にドイツ占領下のパリに潜入して諜報活動に行った。


しかしナチスの秘密警察「ゲシュタポ」に密告されて囚われの身となり、パリが解放される寸前の8月8日、ドイツの強制収容所に移送されて絞首刑を判決を受ける。


その執行の前夜、収容所内で死んだ別の囚人に成りすまし、別の収容所に移り、脱走に成功。戦後は国連世界人権宣言の起草に携わり、その後もフランスの外交官として活躍した。


そして、この本「憤れ!」は、そんなエセル氏が93歳になった2010年秋に、若者に向けて書いたメッセージ本だ。


本というか、実際はわずか14ページの小冊子で、出版以来、フランスで200万部を超えるベストセラーになり、日本を含む世界の数十カ国で翻訳されている。


内容は、世界で不正義が横行しているなか、無関心でいる人々に対して、ナチに逮捕されて処刑される寸前に脱出した自らの若き日々を振り返りつつ、「世の不正義に目をつぶるな。行動を起こせ!」と訴えたものだ。


こうしたメッセージに感化された若者が、アメリカではあの「ウォール街を占領せよ」デモを起こし、債務問題で揺れるイタリアやスペインなど欧州での一大デモムーブメントとなった。





まさに、この思想が、原発問題や秘密保護法問題で揺れるいまの日本には本当に必要ではないだろうか?


だまっていてはいけない。見過ごしてはいけないのだ。・・・いまの日本では「怒らないこと」がなぜか推奨されているが・・・・


エヌス氏は本のハイライト部分として、特に「無関心は最悪の態度である」(第4章)を強くアピールしている。


「『私にできることは何もなく、何とかやっていける』というような考え方は、人間として根本的な特質である“憤り”を失わせるだろう。我々の抗議する力は、関わりを持つ自由と同様に、なくてならないものなのだ」



しかし、勘違いしないてでほしい。


エセル氏は、暴力で訴えろとはけしていってはいない。あくまで「非暴力」なのだ。


「暴力は希望に背を向けるものであることを理解せねばならない。希望に満ちていることと、非暴力への希望は、暴力より優先されねばならない。これは我々がたどることを学ばねばならない道程である」

そして、エセル氏は憤りへの呼びかけを次のように結んでいる。





「(ナチス崩壊後も)本当に脅威はまだ続いている。それゆえ、我々は平和的で毅然とした抵抗の呼びかけを続ける。


大量消費への誘惑、弱者の蔑視、文化の軽視、


歴史の健忘症<歴史的な過ちを繰り返すことを表すたとえ>、


容赦のない競争を強いる世界観を若者達に提供するマスメディアに対して」。




まさに、いまの日本の状況と同じだとは思わないか?

ぜひ、ご一読を!